世界が感動する異宗教間カップルの結婚式サプライズ、本当に感動しますか?

今日は、フェースブックで見かけたカナダの異宗教間カップルの結婚式でのサプライズ演出(動画)についてとりあげてみました。「心がとろける」サプライズと話題なのですが、私の心は全くとろけなかったので、その理由について考えてみました。


HuffpostCanada

Frank Gregoire Sings “Tum Hi Ho,” For His Bride At Interfaith Wedding,
Melts Our Heart
「異宗教間カップルの結婚式で
Frank Gregoireが花嫁に歌う”Tum Hi Ho”に心がとろける」

ハフポスト カナダ版に掲載されたこちら結婚式サプライズ動画、「感動する!」とたくさんのシェアとイイネがついています。

 

二人はキリスト教とシーク教の異宗教間カップル。花婿はカナダのケベック出身のキリスト教(おそらくフランス系カナダ人)。花嫁は同じくカナダのトロント出身のシーク教(おそらくインド系カナダ人)。動画は二人の結婚式で、花婿が花嫁に内緒で練習してきたボリウッド映画の曲をヒンディー語で弾き語りをするというサプライズ。


花婿が愛する花嫁のために、難しいヒンディー語の曲を覚え披露するという、ひたむきな愛情が感動を呼んでいるようですが、みなさんはどう思われますか?


私は正直、全く感動する意味がわかりませんでした。。。


たしかに、どの結婚式でもサプライズ演出は特別で感動的なものだと思います。けれども、このケースはそれ以上に特別なものなのでしょうか?歌もたいして上手くないし、、、特別なのは白人男性がアジア人女性の言語を頑張って覚えたというところぐらいではないでしょうか?


アジア系の彼女の方が英語やフランス語で歌っていたら同じように感動するのでしょうか。もっとも、彼女や彼女の家族は当然のようにカナダで英語を話して生活しているわけです。きっとインドの言語とカナダの言語とバイリンガルであろうことを考えると、たかが一曲覚えたぐらいで感動なんて大げさな、という気がしてなりません。日々、非英語圏の人は当然のように英語を使う努力を強いられているのに、白人が非ヨーロッパ言語を話すと特別扱い。そんな非対称性を表している事例に感じます。


そもそも、国際結婚や異文化間結婚では相手の言語や文化を覚えるのは当然の努力。我が家の父だって、インド人の母と結婚するために英語もヒンディー語(インドに会いに行くにはヒンディー語も必須)も勉強し、宗教もカトリックに改宗しています。一方、母は父と結婚して初めて日本に来たわけですが(インド国外に出るのも初めてだったそうです)、そこから日本語も、父の出身地の文化やしきたりも覚えていきました。おそらく、父の田舎のしきたりには横浜で育った私よりも詳しいと思います。国際結婚においては、お互いに相手の言語を覚えることは最低限の努力であって、国や文化、宗教の壁を越えていくにはそれ以上に沢山のハードルがあります。


さらに、今回のケース、国際結婚ではなくて、異宗教カップルの結婚。両家ともにカナダの出身なので英語が話せるということを考えると、「ヒンディー語」を覚えるというのは二人の関係において実用性はないわけです。しいていうなら、カナダ人(白人/古い移民)が新参移民である彼女の家族に敬意を払い、あなたの文化や宗教に慣れる努力をしますという表明として意味があるのでしょうか。う〜ん、でもやっぱり、その表明に感動するというのは、デフォルトが「アジア人が白人の文化に慣れるのが当然」となっているようで、やっぱり対等な関係としてみていないきがします。


彼がしたサプライズは異宗教/異文化間カップルとしては素敵なことで否定するつもりはないですよ。それに「感動する」という行為が納得いかないのでした。


それよりも、キリスト教とシーク教、両方のしきたりで結婚式を挙げていることの方がず〜っと素敵じゃないですか?(記事内に写真が載ってます)