「ハーフの子を産みたい方に」、ハーフのわたしからのメッセージ。

 

 

こんにちは、えりざです。

 

今回は、ツイッターを源流に話題になっている

「ハーフの子を産みたい方に。」

というキャッチコピーのついた着物のポスターについて。
すでにツイッターにとどまらず、Yahoo!ニュースなど他の媒体にも取り上げられているので目にされた方も多いのでしょうか。

 

SNSもフォローしてくださっている方はご存知だとは思いますが、
私はただいま、インドからアメリカに引っ越し、
間も無くカンボジアにお引っ越しという大移動の真っ最中。

とっても手のかかる2歳児と毎日過ごしていることもあり、ブログどころかパソコンに向かう時間がほとんど無いという生活を送っているのですが、さすがにこの話題は、いちハーフとして、「ハーフ」研究者として見過ごすことはできない(怒)!
ということで久しぶりにブログを書くことにしました。
(息子の相手をしてくれている夫に感謝)

 

久々の投稿がこういう理由というのもなんだかとても残念でもあるのですが。。。

 

 

問題の着物ポスター

 

こちらが問題のポスターを紹介したツイッターです。

 

問題のポスターは2016年に「銀座いせよし」という東京の着物屋さんの広告ポスターとして発表されたようです。
このポスターは博報堂に所属する志水雅子というコピーライターにより作られ、2016年の東京コピーライターズクラブにて新人賞を受賞しています。

そうなんです。
有名な広告代理店に所属するコピーライターなうえ、このコピーで賞まで受賞しているんです。

 東京コピーライターズクラブ内の掲載情報

 

ツイッターの元になっているポスターは、銀座いせよしのホームページ内に過去記事として掲載されていたもののようなのですが、炎上後の現在はそのページは削除され、以下のようなお知らせが掲載されています。

 

 

このポスターとキャッチコピー、

「着物でハーフの子を産むってどういうこと??」

なんて思う人もいるかもしれませんが、

要は
「着物を着ると外国人にモテるようになるから、ハーフの子を産む可能性も高くなりますよ」

ということを暗に意味、意図しています。だから着物買いましょうね!という売り文句。

「ハーフの子を持つ」ではなく「ハーフの子を産む」と表現しているところにさらに下品さを感じるのは私だけでしょうか。。。。内容そのものも問題だけど表現力にも疑問が。

でも受賞作だそうです。

 

 

ハーフの私が不快に思う理由

 

私はこのポスターを目にしたときにとても不快に感じました。
それは、いちハーフとして、「ハーフ」の親として、そして日本人女性として。

怒りもあり、とても残念という気持ちもあり、それでいて今時これ!?というショックな気持ちも。

 

「ハーフ」を産みたいという言葉は実際に世にあふれている言葉ではあります。
この言葉を言われたことがある「ハーフ」の人は多いのではないでしょうか。
少なくとも似たようなところで “「ハーフ」いいな〜” のような言葉はだいたいの人が言われていると思います。
実際、私も面と向かって「ハーフ」の子が欲しいというようなことを言われたことがあります。

“「ハーフ」を産みたい” や “「ハーフ」っていいな” などという偏った羨望の眼差し自体にも怒りを感じるのですが、
さらに今回の件に関しては、

▶︎その言葉を安易に広告にキャッチーな ”コピー”として利用したこと

▶︎その上で新人賞という賞まで受賞していること

に大きな怒りと驚きを覚えました。

これは、あるコピーライターとその顧客(銀座いせよし)に、このフレーズをキャッチコピーとして使うことが問題ないと思われていただけでなく、広告業界全体としてそれを許容するどころか、賞賛するカルチャーがあるということです。

 

さらに、着物をきると外国人にモテるという安易な発想が、日本人女性を安売りしているようで、そこも日本人女性として納得がいきません。確かに着物を着ると外国人の集まるところでちやほやされるよ〜なんて言っている人もいますが、それがそうだとしても、それがいいことなのかどうか考える必要があると思います。

 

 

「ハーフを産みたい」と言ってはいけない

 

「ハーフを産みたい」と言ってはいけない理由は、
簡単にいってしまえば当事者である「ハーフ」の人々が傷つくから。
それにつきます。

 

では、なぜ「ハーフ」の当事者が傷つくのか?

それはまず、「ハーフ」とは何かというのもよく理解しないまま、偏ったイメージ、なんとなくのイメージだけで
「ハーフっていいな」
「私もハーフが欲しい」

と思っていること。
気安く「ハーフ」に憧れを抱いているあなたは、実際に「ハーフ」が日本でどのような経験をして育つかご存知ですか?

当事者からした「ハーフ」という言葉には、さまざまな苦悩、辛い思い出が含まれます

なぜなら「ハーフ」というカテゴリーは私たちを日本人から排除するための言葉でもあるから。
それはテレビや雑誌で多く目にするような、みんなが憧れるような欧米系≒白人の「ハーフ」も例外ではありません。

 

そして、私たちを「ハーフ」として排除する日本人(純ジャパ)という立場を持って、
排除される側である「ハーフ」へ憧れるというネジレに対する不快感もあります。

「ハーフ」は決して自らの選択を持って「ハーフ」となったわけでもないし、
「ハーフ」として日本人から排除されることを望んでいるわけではありません。

にも関わらず、自分の子供を「ハーフ」にしたいという選択を日本人(純ジャパ)という立場からすることに対しては、違和感というか不快感を感じられずにはいられません。

例えばアメリカでは、黒人の人たちのファッションや容姿を白人の人たちがファッションとして取り入れることに対して、Cultural Appropriation(文化の盗用)として異議を唱えますが、今回の広告の件は私にはそれに似たような感覚を覚えさせました。

「都合の良い部分だけ憧れる」

という点で。(Cultural Appropriationについての詳しい説明は長くなるので割愛します)

そしてもう一つ。
ただただ単純なところで「ハーフ」という自分のアイデンティティに関わる言葉を乱雑に、
無配慮に扱われたことに対してもとても不快に感じました。

 

トロフィーベイビーですか?

 

「トロフィーワイフ」という言葉を聞いたことはありますか?

これはビジネスなどで成功をおさめた裕福な男性が、まるでトロフィーかのように自分のステータスのために誇示する若い美しい(見た目重視な)妻のことをさします。

わかり安い例でいうと、某国の大統領夫妻が典型的な例でしょうか。

今回の広告のように
「ハーフの子供を産みたい」という感覚はまるで「ハーフ」の子供を

“トロフィーベイビー/トロフィーキッズ”

として見ている感じがします。
まるで自分のステータスや見栄、ファッションの一部のような感覚。

前出のツイッターのコメントにもあるように、「ハーフ」はペットでも人形でもなく人間なのです
あなたの欲望のために産み、利用するべき対象ではないのです。

トロフィーワイフの場合はまだ当人も大人で、トロフィーワイフとなることに自分の意思や判断が伴いますが、
子供においては自分の選択の余地は全くありません。

「ハーフの子供が欲しい」という感覚でこの世に産み落とされ、ステータスのように扱われる子どもの感覚を想像できますか?そしてそのような親の元で「ハーフ」としての様々な苦悩を乗り越えて行かなくてはいけないのです。親にとっては見た目(と言語も?)の問題かもしれないけれど、子どもにとってもそれ以上に様々な要素が「ハーフ」という言葉、存在には付いてくるのです。

正直、「ハーフを産みたい」と思っている人ほど、「ハーフ」にとっては一番親になってもらいたくない存在かもしれません。

 

「ハーフ」の子を産んでも、あなたはあなたでしかない

 

「ハーフ」の子供が欲しいと考える人の中には、「ハーフ」に対する憧れとともに、
外国人に対する憧れや、外国人になりたいというように考える人も多いのではないでしょうか。

この場合の「外国人」というのは大抵の場合「白人」なのですが。

そういう考えの人に言いたいのが、

「ハーフの子を持とうが、持たなかろうが、あなたはあなた以外の誰にもなれない」

ということ。

子どもが、いくらあなたが憧れてきたような「ステキなハーフ(キラキラ)」だったとしても、
あなたのその「ハーフの子を産みたい」と思うような人間性は変わらないのです。
そして、あなたはどうあがいたって外国人にはなれないのです。

そうならば、グローバルな視点で物事を考えられる人になることが一番あなたが憧れる、
なんだかよくわからないけど曖昧なキラキラに近づけることなのではないでしょうか。

本当にただただ見た目だけを求めているわけではなければ。。。そこには少なくともアメリカやヨーロッパに対する憧れやバイリンガルだったり、多文化だったりという側面への憧れが含まれていると想定して)

であれば、「ハーフの子を産みたい」という言葉なんて言うべきではないのです。

 

着物=ハーフの子を産めると考える問題性

 

この「ハーフの子を産みたい方に」というキャッチコピー、「ハーフ」の人々に失礼なことはもとより、日本女性としてもとても失礼で怒るべき内容でもあります。
着物をきると「ハーフ」の子を産めると考えるこの広告主は、着物をきると外国人にモテると暗に表現しており、「外国人にモテること」を積極的に肯定しているようにも聞こえます。

さて、「着物をきると外国人にモテる」という考え、「外国人にモテる」ことを良しとするこの考えは受け流して良いものでしょうか。私はけっして軽視すべきものではないと思っています。

一部の外国人(主に白人男性)の間では日本人女性は外国人(白人)好きで、外国人(白人)であれば誰でもヤらせてくれて、それでいて従順で最高。なんていうステレオタイプを持たれていることは有名です。

そうです。日本人女性に対する典型的な人種差別的な偏見。

数日前に高級日本食レストランに行った時のこと、まさにこういう考えの白人男性が私たちの席の真後ろに座っていて、こういう日本人女性のイメージを大声で下品な言葉を使って話していて大変不快に感じていたところでした。。。(涙)

そんなことがあったばかりだったので、この広告を見たときに、
なぜそういう外国人(白人)男性の偏見を助長するような広告を打つのか!?という怒りも強く湧きました。

外国(白人)男性による日本人蔑視の助長をするような広告によって、実際に性被害に合うのは日本人女性なのです。

この広告がでた少し前の2014年にも白人の自称ナンパ講師が日本で女性に強制的にキスするなどの不当な行いをした動画が流れ、その人を入国拒否にしようという署名活動がおこっています。

それなのに、ナゼ!?といった感じです。
社会に大きな影響を与える広告業界の人にはこのぐらいの社会問題には意識を向けて欲しいものです。

 

過去の広告を掘り起こすべきではない?

 

最後に、一部の意見で、この広告は3年も前のもので今更掘り起こしてきて批判するべきでないというような言葉や、3年前に問題とならなかった広告が、3年経って批判されるということに、この3年で日本社会がこのような件に対して敏感になった、成長したと楽観的に、ポジティブに捉えているような言葉も散見されました。

さて、3年前のものを掘り起こすべきではないのでしょうか?
この3年で日本社会はそんなにも好転したのでしょうか?

私は正直、3年前というのはたいして昔の話ではないと感じています。これが10年前単位で昔の話なら違うかもしれませんが、たかだか3年前という感じ。

確かに、10年ほど前に私が大学、大学院で「ハーフ」や日本のマイノリティについて研究していたころよりは、現在は、SNSがより普及したこともあり、もう少し声を上げる人が増えた感じがします。当時のSNSはマイノリティが繋がるためのツールとしての性質が強かったのですが、現在はマイノリティが社会に向かって直接声を上げるツールと変化しています。

この広告が作られた2016年ころというのは、
ももクロの黒塗りメイクが黒人差別と指摘され炎上した件(2015年)や、
白人”ナンパ師”の入国拒否運動(2014年)が起こって以降なのです。

そう考えると、2016年の時点で十分に批判されるべき内容だったといえるし、当時の社会、ネットカルチャーにも既にこういった内容が炎上するというような性質があったと考えられます。それにもかかわらず、広告製作者や、そのキャッチコピーを採用した関係者、受賞をさせた関係者が社会の状況に鈍感だったまたは無視したということではないでしょうか。

広告関係者というともっと社会の動きに敏感であるべきだと思うのですが、日本ではそうでも無いようですね。

当時批判されなかったのはおそらく、いち着物屋の広告であるため、ただただそういうのを問題と感じる層に届かなかっただかもしれません。

世に批判されないまま残っているのであれば、ましてやオンライン上に残っているものなのであれば(受賞作としてはまだ掲載されています)、3年後だろうと、何年後であろうと批判されるべきだし、批判、炎上されることで、こういう内容は批判されるべき内容なのだという爪痕がしっかりと記録、記憶されるという効果のではないでしょうか。

 


 

以上。

「ハーフを産みたい方に」というキャッチコピーを使った銀座いせよしのポスターの一件について色々と思うところをかいてみました。この件について、また「ハーフ」について考えるときの参考になればと思います。

 

さて、後味の悪い内容なので、最後に日本人で初めてNBAで一巡指名された、ベナンと日本にルーツをもつ八村塁選手のステキな記事を貼っておきますね。

Number Web日々是バスケ:「ハーフの子供たちのために」八村塁のルーツへの誇りと自信。

「ハーフを産みたい方に」よりももっともっと「ハーフの子供たちのために」という言葉が増えて欲しいものです。「ハーフ」というのはそういうときにこそ使う言葉だと思っています。