《アメリカから丸山失言を考える》問題発言・差別発言はどこが「問題」で「差別」なの?

 

丸山和也・参院議員のオバマ大統領に対する失言が騒がれていましたね。


確かに丸山議員の発言は失言であるとは思うのだけど、、、何が問題なの?

っていうところがイマイチ的を得ていないというか、ちゃんと説明されていない気がするのは私だけでしょうか。

ちゃんと説明もしないで、失言に対して揚げ足をとるように、

「問題発言」

「オバマを批判」

「差別発言だ」


と政治家もメディアもかき立てている。

「問題発言」「差別発言」であるならば、何が「問題」で何が「差別」なのかを明示してもらいたいもの。そうでなければ、あたかも、「オバマ大統領=黒人」ということに触れてはいけないかのような誤解もされかねない。そうなれば、人種問題を口にするのは危ないから、触れないほうがいいなんて空気が漂い始めてしまわないだろうか。

 

こちらが問題の丸山発言。

例えば今、アメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。はっきり言って。

私は、この中には問題点が2点あって、その原因は人種差別意識と言うよりも、言葉足らずな表現力不足の問題の方が大きいのではないかと考えました。

 

以下、問題点2つと、丸山議員が本当に伝えたかったであろう内容について、私なりに解説してみます。

 

問題点1:オバマ大統領は黒人であっても、奴隷ではない


まず1点目。

オバマ大統領は黒人であることは事実なので「アメリカは黒人が大統領になっている」は事実だし、黒人が大統領になったことはアメリカの歴史において重要なことだから、この部分は問題ないでしょう。

問題はその後に続く

「これは奴隷ですよ」

という発言。

あたかも、

「オバマ大統領=奴隷である」

と言っているような表現になっているのが大問題。
さらには、

「オバマ大統領は黒人であるから奴隷である」

と聞こえかねない。
もしそう意図していたのであれば大問題で、全くの人種差別発言でしょう。

確かに、昔、黒人は奴隷としてアメリカに連れてこられました。
だからと言って、今の時代に黒人を奴隷呼ばわりするのは時代錯誤な人種差別です。

かといって、黒人が奴隷として扱われていた時代があったことを口にしてはいけないわけではありません。それは向き合わないといけない歴史であって、目をつむってなかったことにしてはいけないものです。アメリカでは歴史に対してそういう態度は取りません、日本と違って。

もちろん、侮辱を目的として、祖先が奴隷だったということを指摘するのは差別ですよ。
「黒人は祖先が奴隷だから劣っている」っていうような表現は完全アウト。

 

また、ネット上に、「黒人と表現すること自体問題」というような意見(というか、そこが問題で炎上してると思われている内容)も見受けられたのですが、「黒人」と表現すること自体は、まだ日本語ではOKの範囲内でしょう。おそらく、新聞等のメディアでもまだ使われているはず。

一方、アメリカでは確かに「ブラック」よりも「アフリカン・アメリカン(アフリカ系アメリカ人)」というような表現が推奨されるようになってきています。ただ、文脈によってはいまだに「ブラック」が使われることもあるし、当事者にいたってはそれぞれ自分がここちの良い表現を選んで使っています。

 

それから、ここ付け加えておきたいことがもう一つ。
「これは奴隷ですよ」の中の「これは」という指示語。これは、「黒人」にかかっている(またはオバマ大統領にかかっているともとれる)指示語です。「これ」って人に対して使う指示語ではないですよね。この指示語の使い方が、黒人を下等に見ているようで、無意識なレイシズムの表れを感じました。

 

 

問題点2:オバマ大統領の祖先は奴隷ではなく、ケニア人という誤解

 

2つ目の問題は、オバマ大統領のルーツに関する事実誤認ととらえかねない表現なこと。

オバマ大統領はアメリカの黒人として自分をアイデンティファイしてはいるけれども、お父さんはケニア出身で、お母さんはアメリカのカンザス州出身の白人というルーツの持ち主。

奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人を祖先としているわけではないのです。

なのに、丸山議員の表現では、あたかもオバマ大統領自身が奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人の子孫かのように聞こえます。

アメリカという、日本にとっては同盟国の大統領の、よく知られたルーツについて間違えるなんて、失礼ですよね。ましてや、政治関係のニュースを追っている人なら知っていて当たり前の内容。。。それを間違える人が政治家っていうことに、日本大丈夫か!?とは思いますが、この間違えはレイシズムではないでしょう。

 

ただし、丸山議員が「オバマ大統領が奴隷の子孫である」と表現したことが、オバマ大統領への侮辱だと批判する人がいるのであれば、私は、その批判こそが人種差別発言になると思います。

ある人が奴隷の子孫であることも、その奴隷の子孫が大統領になったとしても、何ら問題はないはずです。失礼にあたるのは、「奴隷の子孫と間違えられた」ことではなく、「間違えた」こと自体にあるのです。

「奴隷の子孫」であることがあたかも人を侮辱している発言だと思っていることの方が、人種差別として問題にするべきでしょう。
(「奴隷の子孫だから大統領になるべきでない」というような文脈であれば、「奴隷の子孫」という表現も人種差別になりますが、今回はそういう文脈ではない)

 

また、オバマ大統領自身は「奴隷の子孫と間違えられた」ということについては日本の政治家が騒ぐほどに、特に何も思っていないのではないでしょうか。たかが、1国会議員(しかも外交関係ではない)による発言だし、オバマ大統領自身も、政治家としてはアメリカの黒人として活動をしてきた人です。それにミシェル夫人の祖先は奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人なので、オバマ大統領は、自分のルーツこそ違えど、そういう祖先を持つ子どもの親でもあるのです。

正直、日本の政治家は騒ぎすぎ。
アメリカはそんなに日本の行動を細かく注視していませんから。。。

 

 

丸山議員の表現を正すとこうなります


おそらく、前後の文脈から読むと、丸山議員は「オバマ大統領=奴隷」でないことも、オバマ大統領が奴隷の子孫ではないというルーツも理解しているのではないでしょうか。

私が想像するに彼が言いたかったことをきちんと表現すると、

今、アメリカでは黒人が大統領になっている。黒人はもともと、奴隷としてアメリカに連れてこられ、長く奴隷として扱われ、公然と差別を受けてきた人たち。長くそのような扱いを受けてきた黒人が現在はアメリカでは大統領に就任するまでになった。

と、言いたかったのではないでしょうか。

ただ、言葉選び、表現が酷かったという話。
言葉選びだけの問題だけど、そこをわきまえられないのは政治家としては致命的か。日本の政治家に多いよね。もう少し政治家として意識して発言してもらいたいものです。。。

 

 

ところで、丸山発言をもう少し前後を広く切り抜いたのがこちら。


バカみたいな話だと思われるかもしれないかもしれませんが、例えば今、アメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。はっきり言って。リンカーンが奴隷解放をやったと。でも、公民権も何もない。マーティン・ルーサー・キング(牧師)が出て、公民権運動の中で公民権が与えられた。でもですね、まさか、アメリカの建国、当初の時代に、黒人・奴隷がアメリカの大統領になるとは考えもしない。これだけのですね、ダイナミックの変革をしていく国なんです。

 

言葉選び、表現の問題は置いといて、、、
この「ダイナミックに変革をしていく国」というのは、アメリカについて、大事なことを言っていると思います。

想像してみてください。
アメリカという国は、一人の人生の中に、黒人が奴隷としてみなされ、人間として扱われない様な時代、公然と人種差別が許される時代から、公民権を得る時代、そして黒人の大統領が誕生するまでの期間が収まるのんですよ。

一人の人生に収まる期間にこれだけの変化が起こっているんですよ!?

 

私は「大統領の執事の涙 」という映画を見たときに、ここまでの変化が起こった期間の短さを思い知らされました。1980年代生まれなので、公民権運動よりももっと後の生まれの私にとっては公然と差別される時代はずっと昔の話と感じていたのですが、この映画は一人の人生を通して、この変革を描き出しているので、一人の人生に収まる期間にこれだけの変化があったということを実感させられ、ものすごい衝撃を受けました。

 

丸山氏はこの変化のスピードについてを本来は話したかったんですよね。
私は、この映画を見て、それに衝撃を受けていたので、丸山発言を即座に否定的には見ませんでした。言葉足らずな問題箇所よりも、日本人にはおそらくあまり感じられていない、アメリカの変革のスピードを示そうとしている発言だったから。

日本の特に若い層には、アメリカのこの変化のスピードを実感するのに、ぜひこの映画を観ることをお勧めします。
あと的外れな批判をしている政治家の方々、ちゃんと観てね。

 


さて、どうしたら、日本にもこう言った変革のエネルギーが起こるのだろうか?

とこの映画を見て以来、私は時折考え込んでしまいます。。。

 

p.s. 丸山発言に日本をアメリカの51州目発言の方が結構問題多いけど、そこはあまり突っ込まれてないね。51州目になったら日本はもはやアメリカなので言ってる内容がほとんど成り立たない。。。