【本レビュー】古市憲寿著「保育園義務教育化」をハーフの視点で考える

 

最近流行りの社会学者、古市憲寿氏の著書「保育園義務教育化」がここのところタイムラインに現れることが多い。若い子育て世代の母親には自分たちの苦労を理解してくれる珍しい知識人男性に見えるのでしょう。 

ただ、私がこのタイトルを見て、直感的に思うのが
「保育園の義務教育化なんて迷惑な話だ」ということ。

こう思う裏には、自分がハーフであること、そしてグローバル家族ならではの子育て観があるからだと思うので、そのことについて書きたいと思います。

また、ドナルド・トランプ並みの移民差別発言がサラリと書かれていたので、そこもしっかり突っ込んでおきたいと思います。

 

だいたいの内容

 

小学館「保育園義務教育化」古市憲寿著(著書のツイッターより) 

この本は、保育園を義務教育化すれば、少子化対策にも、労働力不足への対策にもつながるとし、さらには日本全体の「レベル」の向上になるということ話している様です。

保育園が義務教育になれば、働き続けたい女性が子どもを産みやすくなるし、
産んだ後に職場復帰をしても「義務教育」なので、子どもを預ける後ろめたさを感じることなく保育園に子どもを預けやすくなる。

 

だいたいこんな話をしているのでしょう。

「だいたい」というのは、Kindleのサンプルで、目次と「はじめに」という章を読んだだけだから。内容が雑だし、早々に移民への差別発言が書かれていたので、とてもお金を出して買う気にはなれません。これ以上読む価値も無いかなと。。。

 

少子化対策や母親への負担軽減のため、親が子どもを預けやすい環境を整備するという点は、今の社会や家族形態からしてとても必要なことなので否定するつもりは全くないのですが、「義務教育化」というのはちょっと受け入れられ無いかな。


 
 

ハーフな私の就学前経験


就学前は多文化な価値観を育む時間

日本にいるグローバル家族、ハーフの人にとっては義務教育前が、家庭のアイデンティティを育む貴重な時間だと私は思っています。 

なぜこの時間が大切なのかというと、義務教育に入っていくと多文化な価値観がどんどん潰されていくから。学校が意識的に「日本人らしさ」を子どもたちに要求していなかったとしても、「みんなと違う」ということは否応なしに子どもの心にはグサグサと刺さってきます。そして「みんなと同じにしよう」と意識的か、意識的じゃないのか、子どもは周りに合わせることを覚えていきます。

だから、就学前は、義務教育で潰されていく前に、家庭の多文化な価値観の根を張らせる貴重な時間だと私は思うのです。

 

私と就学前経験

私の場合、インド人の母親が専業主婦として存分に子どもと時間を過ごしていました。私が生まれた当時はまだ来日5年ぐらいだったでしょうか。また、小学校に上がる前に何度も数ヶ月単位でインドに行きました。インド側の祖母や叔母が母の子育てを手伝いに日本に来てくれたことも。

おそらく、親は「私がインド人としてのアイデンティティを育めるように」などと、意図的に考えてはないと思うのですが、結果的には、この期間に「インド」に触れることが多かったから、小学校から高校まで日本の学校で「日本人」というアイデンティティを強くしていく中でも、インド人であることが抜け落ちずに済んだのだと思っています。 

「日本人」でいることが当たり前になる前に、インド人でもあることを体感していたのです。

もし、保育園が義務教育化されたならば、物心つく前にすでに「日本人」でいることを強要されるのかなと想像してしまうのです。

↑インド人の根をはってるころ

 

「義務教育」はグローバル家族に配慮しない

筆者は、預けるのは「週に1度、1時間だけでもいい」と言い、気軽に子どもを預けられる環境を整えるという意味を含めて「義務教育化」と使っているふしもある様だけれど、それならばあえて「義務教育」としない方が良いと思います。

義務教育であるならば、国のカリキュラム沿った内容であるはずなので、「日本人化」の強要は免れないでしょう。日本の教育指導要領では、対象が「日本人」なことが大前提で、グローバル家族の日本人には全く配慮されていませんから。 

また、いまのところ日本では、日本国籍の子どもをインターナショナルスクールに通わせると「義務教育放棄」とみなされ、再度、日本の学校に通わせたいと思っても、入学は認められません。「義務」にすると、そういった制約もでてきます。

それでも保育園を「義務教育化」したいのでしょうか?

  

グローバル家族の子育て観

 

我が家の子育て観

この本のタイトルに拒絶反応を起こしたのは、我が家の子育て観が
「子どもが小さいうちは親のどちらかが家にいて子どもに寄り添う」
としていることも一つの理由です。

子どもが小さいうちは成長も発達も早い。そんな子どもの発達を楽しむことを保育園に奪われてしまっては、子どもを産む意味ないかな〜って思ってしまうのです。夫婦2人だけの生活も十分楽しいので。 

「子どもの発達を楽しむ」なんて思えるぐらいなので、相当な専門家でない限り、他人にしてもらうよりも自分で子育てした方が的確。他人の価値観で育てられるよりも、家族の価値観で育てたい。いろいろと教育に携わってきたけれど、安心して預けられる教育者ってなかなかいないものなのです。グローバル家族にとってはなおさら。

 

国や経済のためをモチベーションには子どもは産めない

この本では「3歳ごろまでは母親の手元で育てないとならない」とする3歳児神話には論理的な裏付けはないとしていますが、小さい子どもの発達は早いのは確かで、その期間にできるだけ子どもの好奇心を刺激してあげたいと思うもの。それをするには、保育園で子ども複数人に一人の保育者が付くよりも親が一対一で相手した方が効率的。

そもそも、3歳児神話を否定しようとする学者たちの行為自体、両親ともに子育てから開放して労働人口を増やそうとする、「経済ありき」の考えの表れでしょう。(※3歳児神話の「母親でなければならない」という点は、私も反対です)経済に翻弄されるよりも、「家族ありき」=家族と幸せな時間を過ごすことを目的に人生を組み立てたいのです。結婚するのも、子どもを産むのも国や経済のためだなんて、考えたくはない。

 

アイデンティティと言葉の成長

また、グローバル家族の子どもたちのアイデンティティは複雑なもの。例えばハーフだと2国間の間で「自分は何ものなのだろう?」と揺れ動き、また社会のマジョリティーとの違いに悩み押しつぶされそうになったり。それに敏感に対処するためにも、片親が家にいて、いつでも話せる環境を作っておきたいと思うのです。特に我が家の場合、夫婦二人ともそういった経験をしてきているので、その必要性を身にしみて感じているし、誰よりも良い聞き手になれると思っているので。実際、夫の家ではお母さんも国際結婚の子どもだったので、とても良い理解者でいてくれたようです。

さらに、バイリンガルに育てたいとなると、小さいころの言語環境も大事だし、言語環境が複雑になる分、子どもの言語の発育には十分な注意を払いたい。社会の言語も学校言語も日本語であるならば、学校に上がるまでに、もう一方の言語に十分浸からせてあげる必要があると思う。

義務教育化された保育園で責任をもってバイリンガル、多文化に育ててくれるなら考えてもいいけれど、日本が提供する義務教育にそんなのは期待できない。つまりは保育園が義務教育化されたら、バイリンガルに育てることが難しくなるのかな。

 よって、グローバル人材も育ちにくくなるかもね?と思ったりするのです。ちょっと極論ですが。

(「片親は家にいたい」というのはあくまでも我が家が目指す子育てであって、共働きをする家庭の価値観を否定するつもりはありません。夫婦ともに高学歴で恵まれた環境だということも自認しています。)

 

古市憲寿はレイシスト!?

 

移民をいれればいいという人もいるが、ヨーロッパでは移民がうまく社会に溶け込めなくて様々な社会問題が起こっている。さらに、裕福な外国人が来てくれればいいが、貧しい移民が増えても消費者としての期待はできない。

 (章:「はじめに」節:“ピケティも心配する日本の少子化” Kindle位置:No.171 )

 

この発言を読んで思わず「レイシスト!」って叫んでしまいました。

正確に言えば、「レイス=人種」ではなく「移民」に対する発言なので「移民蔑視」、「移民差別主義者」という方が正しいのでしょうが。この「移民」が特定の民族≒人種を指していれば「レイシスト」ですね。

単純な論理で「移民」一般を一方的に「問題化」し、不必要な者扱いしています。しかも「移民=貧しい」って勝手に決め付けてますね。。。 

 

ヨーロッパの各国で移民が社会に溶け込めずに社会問題が起こっているのは、受け入れる社会で差別があり、社会の一員とされていないからで、一重に移民側の問題ではありません。また、消費者として期待できないほど貧しい移民がいるのであれば、まっとう労働対価を支払わない社会側の問題であって、移民の問題ではないはずです。

たとえ単純労働であろうと、日本で働いており、日本で生活している移民はフツウに日本で消費活動もします。もし「貧しい」のであれば、日本の最低賃金や不安定な雇用のシステムの問題ではないでしょうか?

なので、この論理で移民を増やすことを否定するのは、ただの差別発言でしょう。これって、問題になった、ドナルド・トランプのメキシコ系移民への差別発言とたいして変わらない論理です。

日本の報道でもトランプって笑い者にされているのでは?と思うのですが、そんな、問題児のトランプちゃんと同じ問題発言を社会学者がしちゃうのが今の日本の現実です。 

 

おわりに


子育てをする女性の負担を軽減すること、子どもを預けやすい環境を整備することはとっても重要なこと。それに、質の高い就学前教育は、貧困の連鎖を断ち切り、すべての子どもたちが家庭の環境に左右されることなく、将来に均等な機会を与えられるためには必要なことではあります。アメリカでも、オバマ大統領が力を入れているところです。

だけれども、ハーフな私としては保育園の「義務教育化」は単純には歓迎できません。そもそも、トランプ並みのレイシスト発言をする人の考えに私たちのような家族は想定されていないのでしょうね。

それに、オバマ大統領と、この筆者の就学前教育に対する考えは似ているようで、根本的なところが違うなと私は感じます。オバマ大統領は、全ての子どもたちに平等な機会を与えるべきという「人ありき」の考え。一方、古市氏は「日本全体の「レベル」を上げる」という「国家、経済ありき」の人。

本当は、この考え方の違いが日本のいろんなところに歪みをもたらしているんじゃないかな〜なんて思ったりします。少子化にしろ、女性の社会進出にしろね。

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